職員のメッセージ

一貫性

 金沢にある日本三名園の一つ「兼六園」は、加賀歴代藩主により数百年という長い歳月をかけて、大きな池の中に不老不死の神仙人が住むという基本的な理想を一貫し作庭されました。現在、圧倒的な存在感を私たちに見せつけます。
 2015年6月に当院は10周年を迎えます。武蔵村山市民をはじめ周辺地域のみなさまにご利用いただき、少しずつ充実してきました。「市民のための病院」という理想を一環しながら、20年・30年と時を刻むために努力していきます。やがては立派な大木のような病院になることを願って。

(医師)

「感謝」の気持ち

 4A病棟は、内科、泌尿器科、呼吸器外科、眼科の混合病棟です。検査や手術、治療など様々な目的で入院される患者さまのサポートを行わせていただく中で、患者さまやご家族の方からの励ましや感謝のお言葉が仕事への励みになります。
 当病棟のスタッフは皆、明るく、元気で思いやりがあり、働きやすい温かい病棟です。尊敬できる師長さん、沢山の仲間と一緒に働くことに感謝。そして、笑顔と元気をくれる患者さまに日々感謝の気持ちでいっぱいです。

(病棟看護師)

市民ギャラリーをご存知ですか?

 1階外来の壁面に展示可能なスペースがあり、来院された方に楽しんでいただいています。
 患者さまから「素晴らしい作品を拝見でき、感謝しています」というご意見も寄せられ、主催者さまに「展示できてよかった」と大変喜んでいただきました。
 心が豊かに、楽しくなれるような作品発表の場を用意しています。来院の際はぜひ一度「市民ギャラリー」をご覧ください。

(総務課 事務)

出会いと成長の大切な場所

 接遇やコミュニケーションの研修に参加した事で、患者さまやスタッフに対し、「まず自分が何をしたら良いのか」を考えて行動できるようになりました。色々な方と接することで、相手の気持ちを考えて行動できる自分になったと思います。私にとって武蔵村山病院は人との出会いの場であり、常に自分を成長させてくれる大切な場所です。

(5B病棟 クラーク)

幸せな環境

 3年前に他の病院から武蔵村山病院に移ってきました。入職当初は慣れない環境に不安もありましたが、スタッフの親和的な笑顔に迎えられ今日まで楽しく働かせていただいています。「他者こそ自分」を念頭に置き、患者さまやそのご家族、そして職場の仲間との出会いを大切に自分を磨いていきたいと思います。

(作業療法士)

周りの皆に支えられて、ここまで続けてこられました

 「自分はちゃんと役立ってる?」リハビリで回復していく患者さまを目の前にしても、自分の仕事の意味を見失いそうになり自問自答の繰り返し。でも数ヶ月ぶりに診察にいらした患者さまに「あの時、あなたの笑顔と言葉があったから…」と言っていただけたことに支えられて、そして周りの皆に支えられて今も仕事を続けてこられました。ありがとう。

(リハビリテーション科 臨床心理士)

私が出来る事

 これまでに、入院と外来業務を担当し、気づかされた事があります。それは、患者さま1人に対し沢山の人や地域が関わっているという事と、それに携わる職員のチームワークの大切さです。その中で私が出来る事は、診療報酬などの知識を向上させる事や、個人に合わせた接遇だと考えました。その為に、資料を熟読することは勿論ですが、情報の共有や空気を読む観察力が少しでも、身につくように努力をしています。

(医事課 事務)

元気の源

 私の部署は透析センターです。透析治療は週3日行い、1日おきに患者さんと顔を合わせているので、家族のような感覚になります。
 私の元気の源は患者さんとの会話にあります。患者さんは私の小さな変化にも気づき、言葉にして伝えてくれます。自分のことを気にかけてくれる人がいると思うだけで元気がでます。1日に何度も「ありがとう」と声をかけられますが、私の方こそ毎日たくさんの笑顔と元気をありがとうと感謝しています。

(臨床工学技師)

温かさに包まれて

 産婦人科病棟で働き始めて3年になります。その間に妊娠・出産を経て、今は子育てをしながら病棟勤務をしています。
 出産後、常勤で働くことができるのは、家族の協力もさる事ながら、職場環境に恵まれていることがとても大きいです。こどもの急な体調不良で休まなければいけない時「いいよ、休んで」と温かく休みをいただける職場の方々がいるからです。気持ちよく働けることに感謝しながら毎日を過ごしていきたいと思います。

(3B病棟 助産師)

私と武蔵村山病院

 私はこの4月で5年目を迎えた放射線技師です。新卒でこの病院に就職して早4年。開院10周年ということなので、武蔵村山病院の歴史には半分も携わっていません。そもそもなぜこの病院を就職先に選んだのか。それはPET-CTや放射線治療といった、この規模の病院ではなかなか備えていない検査機器が揃っていたからです。まだ技師として経験の浅い身ですが、今後もこの病院で日々経験を積んで成長していけたらと思っています。

(放射線技師)

開院10周年を迎えるにあたって

 自分が入職したのは平成20年4月、医師になって7年目でした。当初は常勤医も少なかったのですが、その後は徐々に増えて、現在は小児夜間救急にも取り組んでいます。今年、開院10周年を迎えることになりましたが、それも当院を信頼して受診される患者さま、患者さまをご紹介くださる開業医の先生方のおかげです。これからも小児科医師、スタッフともに力を合わせてこの地域の小児医療に貢献したいと考えています。よろしくお願いします。

(医師)

いつも笑顔で

 臨床検査科の立ち上げ当初は叱咤・激励の毎日に手探り状態で頑張った思い出。笑顔の余裕もなく、新人のように仕事していました。
10年の日々、振り返れば武蔵村山病院検査科として少しは新人を脱出したように思います。
何より笑顔が自然に出てきたことが大きな成果ですね。これからも初心を忘れず、笑顔を忘れす過ごしていきたいです。

(臨床検査技師)

良い職場環境

 私が所属しているリハビリテーション科は、明るい雰囲気で活気あふれる職場です。スタッフ同士が密にコミュニケーションをとり合い、定期的な勉強会等でお互いスキルアップに励んでいます。先輩後輩関係なく、自分の意見を言い合えるところが良いところだと思います。
これからもこの職場の雰囲気を大切にしていきたいです。

(リハビリテーション科 理学療法士)

看護職が好きです

 看護師になって10年目、この病院と一緒に育ってきました。内科、外科、手術室と経験させていただき、患者さまと関わるたびに看護師として、人として成長している気がします。今は療養病棟で勤務しています。未だに前の病棟の患者さまが会いに来てくださったりして10年間の沢山の人との関わりを嬉しく思います。療養病棟もこれからは在宅へつなげる時代。一人ひとりのその人らしさを考え、患者さまの生活をサポートすることで、また人として看護師として成長していきたいです。

(4B病棟 看護師)

武蔵村山病院に勤めて

 私は診療放射線技師として武蔵村山病院に勤めて6年になります。武蔵村山病院の放射線科にはレントゲンやCT、透視装置だけでなくMRI、PET、放射線治療と検査機器が多岐にわたって存在しています。種類が多いだけでなく この10年間で マンモグラフィ装置はより病変検出に優れた装置に変わり、PETは1台から2台に増え新しい機能を備えた装置を導入しています。このように10年間に日々発展した職場で働けて嬉しいです。

(診療放射線技師)

病院と地域の連携

 病院で治療を受けられた後、多くの方はご自宅に退院されていきます。地域包括支援センターは退院されてからも安心してご自宅で生活が続けられるよう関わる部門です。院内のスタッフ、また地域の専門職と協同しながら、これからも「病院と地域との橋渡し役」として活動していきます。住みやすい地域づくりに向けて活動してまいりますので、よろしくお願いいたします。

(北部地域包括支援センター 事務)

感謝

 当院は、本年6月に開院10周年を迎えます。これもひとえに地域の皆様のご理解、ご支援の賜物と深く感謝申し上げます。  現在、リハビリテーションスタッフは50名を超え、大きな部署へ成長いたしました。患者様へ「個別性を重視した適時適切なリハビリ」を提供すべく、日々取り組んでおります。今後もスタッフ一同、信頼される病院を目指して、研鑽に励む所存です。引き続き武蔵村山病院及び当科をよろしくお願いいたします。

(リハビリテーション科 理学療法士)

医療福祉相談員として

 医療福祉相談員として、患者さまらしく生活できるように、さまざまな問題を解決するためのお手伝いをしています。現在の制度や機能の制限から、支援を進める過程で壁に当たることも多く、医師、看護師、その他スタッフと常に意見交換をし、業務に取り組んでいます。風通しの良い環境だからこそできる支援も多く、今後も患者さまに一番近い病院スタッフとして、より良い支援ができるよう、院内、院外の連携を大切にしていきます。

(社会福祉士)

病院と地域の私の10年

 開院した10年前、私はピカピカの新成人でした。病院の開院を人でいう成人と考えると武蔵村山病院もそろそろフレッシュな若手の立場から、次第に実力を問われる中堅になっていきます。今後、当院が地域を支える病院として成長していくためには、近隣の医療機関との確かな連携と信頼関係が欠かせません。医療連携室として、地域の絆をさらに深めていけるようこれからも努力したいと思います。

(医療連携室)

大和会の一員として

 シャトルバスの運転手として8年間働かせていただきました。当初はシルバー人材センターの会員として渡された業務マニュアルのまま、接客の方法すら分からずにただ 安全運転だけを心がけていました。大和会に運行管理業務が移行されてからは、職員としての立場を自覚し接遇マナー研修なども積極的に受講しました。そこでお客様に笑顔で接し信頼関係を気づくことが大事だと学び、心に刻みました。これからも、大和会の一員として親切で丁寧な接客をして安全運転で頑張ります。

(施設管理課)

10周年にあたり

 当院内視鏡室は本年度、上部3771件、下部2245件の消化管内視鏡検査を施行しております。これは内視鏡検査室1室という環境の中で施工している施設としてはかなり多い件数です。内視鏡室室長の久保副院長のもと、スタッフが連携を密にしながら、10年間努力してきた結果であると思います。
このような病院の一員として、技術の研鑽および専門知識の習得に努めることで、地域医療の一助となれば幸いです。

(医師)

これからは私が支えに

 遠回りをして看護師となり、何もできない私を多忙な中でたくさんの方が優しく見守り励まし育ててくれました。挫けそうになった時には、手を差し伸べ支えてくれました。今、私が笑顔でいられるのは、そうした皆さんのおかげです。私も皆さんの支えとなれるようこれからも努力していきたいと思います。

(3A病棟 看護師)

小児の地域医療

 武蔵村山病院は10周年になりますが、小児科病棟は1年後に開設されたため9年目になります。武蔵村山市に子どもたちはたくさんいますが、小児の入院施設は当院しか無く、周辺地域にとって大変重要な役割を担っていると感じます。病棟目標である「愛ある看護」を目指し、将来を担っていく夢ある子どもたちが元気に健やかに育つお手伝いが少しでもできるように、これからも小児医療の現場で努力してまいります。

(3C病棟 看護師)

オープンから今まで

 病棟オープンに向け、準備〜患者さんへの受け入れと大変でしたが、環境を良いケアを提供するのに大切だと感じました。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というビジョンは 今でも引き継がれ、私は今、その病棟の管理者をしています。今まで出逢った方々に感謝し、今共にいる仲間の笑顔を見るために 力を注いでいきたいと思います。

(5A病棟 看護師)

薬剤師の今昔とこれからと

 私が入職した当時は、薬剤師は薬局に篭って調剤をしたり電話の応対をすることが多かったように思います。しかし今は病棟に薬剤師が常駐することで、現場の状況を知り、他職種のスタッフとより良いコミュニケーションが図れ、医療チームの一員として働いているという実感が持てるようになりました。新しい薬が次々と発売される今、薬の専門家として、より良い医療に携われるようこれからも精進していきたいと思います。

(薬剤師)

武蔵村山病院での10年間

 私は武蔵村山病院で、この10年間に貴重な体験をさせていただきました。病院の立ち上げに携わり、その業務変化の早さに驚きの連続でした。その後、自分が患者として3Aに入院したり、祖父母を当院で看取ったりなど、患者さまやそのご家族の気持ちが深く理解できるようになりました。他には粟粒結核、マラリア、白血病、心筋梗塞など多くの症例を経験できました。今は、ICTのメンバーとして感染防止対策に力を入れさせてもらっています。

(臨床検査技師)

武蔵村山病院との10年間とこれからに向けて

 開院より入職し、6年医事課外来業務を担当させていただきました。結婚、出産後、育児も少し落ち着き、現在は医事課の中のメディカルサポート室、メディカルサポートとして働いています。主な業務は書類の代行作成ですが、幅広い知識を必要とし、実際は想像より難しい面が多々あります。優しい先輩に教えていただきながら毎日奮闘中です。医師等の事務作業軽減により医療の質の向上に繋がるよう、微力ながら今後も頑張ります。

(医事課 事務)

診療情報管理室での10年間

 開院当初の診療情報管理室は、退院件数が少なくとても静かなスタートでした。年々退院件数が増え、症例も増え、専門的な知識の少ない私はとても苦労しましたが、周りの方々のおかげで楽しく仕事をさせていただき、10年を迎えることができました。現在はデータベースの構築、記録の保存、DPC、がん登録、NCD、カルテ監査などの仕事を3名の診療情報管理士で対応しています。今後も皆で協力し、感謝の気持ちを忘れず頑張ります。

(医事課 事務)